晴れときどき涙~さくらのASD育児日記〜

軽度自閉症スペクトラム障害(高機能自閉症)を持つさくらの育児日記風ブログ。特別支援学級にも在籍中。

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多様性社会っていうワード

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最近よく聞くワード多様性社会。

この多様性社会って便利なワード。

多様性社会って聞くと社会的少数者の意見を受け入れる!

社会的少数者の価値観を認める!

社会的少数者の価値観を否定しない!

ってイメージがあると思う。 

 
実際そんなイメージを持ってるだろう人が静岡市長。

先日、静岡市長が学校給食で宗教上の配慮を検討ってTwitterで見ました。

静岡市長は

「多文化共生を目指す中で学校給食の対応は自治体としての標準装備だと思う」

こんなの失笑もんだよね。

Twitterのコメントでもあったけど、多文化共生の尊重でもなんでも無くて、

ただの押し付け。

本当に多文化共生を目指すなら、現在の豚肉の給食を続けながら

食べられない子には他の方法を探す。それが多文化共生だと思う。

この市長は少数派の意見を受け入れ配慮しただけで多文化共生とは程遠い。

多数派の意見を受け入れて初めて多文化共生なんじゃないの?

多様性社会=すべての人間の価値観・考え方を認める

多様性社会って社会的少数者の意見を受け入れる!

社会的少数者の価値観を認める!

社会的少数者の価値観を否定しない!

って訳じゃないと思うんだ。

多様性社会で重要な事って自分は自分。他人は他人。

考え方も価値観も他人と自分では違うということを

認める社会のこと。

少数派・多数派関係なく、お互いを認め、意見や・価値観を受け入れ、

否定しないって事が重要。

否定しないっていうのは否定も否定しないってこと。

多様性という人ほど他人を認めない矛盾

よく多様性・多様性ってTwitterでも見るし、よく聞くようになった。

でもその多様性って言う人ほど自分の価値観を押し付けてくる。

世の中には色んな意見があって、色んな価値観があって当たり前。

それを認めてこその多様性社会だと思う。

自分を肯定するために自分の価値観を他人に押し付けてはいけない

例えば「人は話せばわかり合えるよ」っていう人がいたとする。

逆に、「人は話しても分かり合えないよ」っていう人もいる。

 でも「分かり合えるよ派」の人は「話合えば分かり合えるよ!」と

主張を変えないとする。

もうこの時点で分かり合えてないのに自分の価値観を押し付けてる。

それってただの傲慢・価値観の押し付けにしかならない。

これは多様性社会であってはならないと思う。

そんなことしちゃうと、価値観の押し付け合いになっちゃう。

まとめ

 

人の価値観が違うのは当たり前だよ。

親と子でも違う。兄弟・姉妹でも違う。

夫婦でも違う。他人ならもっと違う。

それは生きてきた環境・育ってきた環境が違うから

価値観の違いは仕方のないこと。

多様性社会になってきた今の時代、少数派・多数派関係なく

お互いを認め・意見や価値観を受け入れ・否定しないって考え方が大事。

これが出来たら本当の多様性社会が出来るんじゃないかなと思う。

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